ウダの歴史

ウダウダ

最終更新日 1/Feb/1997

 仕事を始めてからも、「相変わらずです」という言葉で近況を報告し続けているこの私。その理由はやはり「ウダ」にあるでしょう。
 ウダウダすることで、ストレスを発散し、明日への活力を蓄える。非常にいいことだと思います。私も、1992年4月のF氏との出会いで、ウダの才能が増幅されました。それでは、これまでに行ってきた「ウダの変遷を追ってみましょう」

セブンイレブンでウダ
名古屋でウダ
ファミレスでウダ
寮でウダ


セブンイレブンでウダ


 コンビニは一人暮らしの救世主。もちろん我々寮暮らしの者にとってもでした。ということで、標的になったのが寮のそばにあった「セブンイレブン仙台安養寺3丁目店」でした。遅くに帰宅しても、必ず寄ってしまうパラダイス。そこには同じように寮の仲間が居る。ということで、寮内より、セブンイレブン内でいつも話をしておりました。春や秋は外で1時間以上も立ち話をしていたことも。その時のあいさつが「いやぁ、どうも」。その後の基本語となっております。

名古屋でウダ


 私の大学のゼミのOB会の新年会が、毎年1月2日に名古屋で開催されることもあり、1月3日は「新春ナゴヤウダツアー」と称して、私とF氏で楽しんで参りました。
 内容は、名古屋の市バス地下鉄一日乗車券を使って、思い出の場所を徘徊するという至って簡単なものです。

第一回 1993年1月3日
名古屋駅JRバスのりば10:00集合→大須観音→栄→今池(王将にて昼食)→八事(GAME CITY YAGOTO)→杁中(IC マッハ)→御器所(名古屋牛乳本社)→天池本通(大進堂書店)→鶴舞→名古屋駅→名古屋始発こだま及びやまびこで仙台へ

第二回 1994年1月3日
鶴舞線鶴舞駅改札前9:30集合→大須観音→栄→今池(どんどん庵で昼食)→島田橋(アスコ書苑及び近藤産興看板)→新瑞橋→桜山(ユニー桜山店)→滝子→天池本通(大進堂書店)→鶴舞→名古屋駅→ひかり及びやまびこで仙台へ

第三回 1995年1月3日(会話内容をテープに録音)
桜通線野並駅改札前9:00集合→瑞穂運動場(ローヤルトップ自販機)→今池→栄→上前津→大須観音→丸の内→円頓寺→亀島→中村大門→納屋橋→矢場町(カトー無線&矢場とんで昼食)→天池本通(大進堂書店)→池下(ネットワーク)→今池→栄(王将で食糧調達)→名古屋駅→こだま&やまびこで仙台へ(車内で餃子の異臭をまきちらすこの時の名言「こだまだでええわ」)

第四回 1996年1月3日(会話内容をテープに録音)
今池駅改札前10:00集合→栄→矢場町→大須観音→桜山→今池(どんどん庵で昼食)→八事(GAME CITY YAGOTO)→杁中(ICマッハ)→本山(ピエロ)→池下(ベルヘラルド)→今池→千種→栄(王将で食糧調達)→名古屋駅→こだま&やまびこor常磐線で仙台、松戸へ

 また、機会があったため、突発的に行ったものもあります。

1993年7月9日(私、F氏ラングレー)
(私とF氏は前夜に仙台を出発も、仙台駅の中で切符を紛失した私、二人で金を出し合い、何とかドリーム号で朝の星ヶ丘へ。一日乗車券を購入後、今池のスオミの湯へ行き、汗を流す。休憩室でジュースを買ったところ、2人合わせて7円しか持っていないことに気づく。この時朝7時半。ラングレーが名古屋駅に着くのをじっと待つことにする。)
名古屋駅新幹線改札8:30集合→名駅(モーニング)→今池→栄→矢場町(矢場とんで昼食)→大須観音→金山(WINS)→柴田(ユニー柴田店)→新瑞橋(ゲーセン)→天池本通(大進堂書店)→今池(河内で夕食)→植田→ほら貝→F氏邸別館

1995年9月13日
(夏休みを9月に合わせて取り、バイクで名古屋に行った私と、帰省したF氏が合流)
10時今池駅集合→池下→田代本通(アトム)→川名→丸の内→円頓寺(寿がきやで昼食)→明道町(菓子問屋)→大曽根→自由ヶ丘→名古屋大学→八事→大須観音→矢場町→堀田(しながわで串カツ)→天池本通(大進堂書店)→伏見→名駅(カプセルホテルユアーズ)


ファミレスでウダ


 最近のファミレスは人件費削減のため「○○バー」と称して、食べ放題・飲み放題を打ち出しているところが多い。仙台には「Milky Way」というファミレスがあり、そこは私が仙台に行った当時から、サラダバー・スープバーが売りであった。そこで我々はやりたい放題に「時間」を使い放題でウダウダとすることが多くなった。
 そこへ来て、1993年9月「ガスト」の登場である。我々のところでも、泉南光台のすかいらーくがガストに変わった。ふれ込みは「ホットドリンクバー」。最高の条件である。「ガストは自由な店です」と言うキャッチフレーズをいいように解釈し、それからというもの、週に1回はガストでウダウダすることが多くなった。お互いの飲む好みを取り、私は「紅茶科長」、F氏は「珈琲科長」という称号を勝手につけた。ちなみに最長利用時間は5時間(22時〜3時)である。
 1993年12月、ステーキ宮(本社:宇都宮市)の一部店舗が業務方針転換のため、「ステーキ宮リベロ」と名前を変え、低価格商品と、「ホットドリンクバー」を武器に再出発してきた。これもいい機会と、我々は出かけた。何しろ肉の専門店。食べ物の味は保証できる。しかし、ウダウダにはこの環境は向かなかった。
 そのうち、Milky Wayでもドリンクバーを始めた。それもホットだけではなくコールドも。これはいい。我々は使った。とにかく飽きるまでウダウダとファミレスの中でくだらない話をし続ける日々が続いたのであった。
 そして、1996年11月24日に開催されたF氏の結婚式の3次会の際にも、「Milky Way」は使われることになるのであった。

寮でウダ


 私の会社の仙台の新しい寮には、「ライブラリー」という寮生共通の部屋があり、そこでゆっくりとくつろぐことができます。当時寮から出ていた私なのですが、土曜の夜などに寮に住んでいたF氏の所に遊びに行くと、そのまま「ライブラリー」でウダウダと時を過ごす事が多かったです。
 我々は、「ライブラリー」を、実際の利用目的に合うよう「娯楽室」と名付け、テレビを独占し、「パチンコNow」「DAISUKI!」や、深夜のB級映画を見ていました。「娯楽室」には自動販売機があり、何をするにも最適。ついには麻雀までしてしまう程でした。それにしても「娯楽室」にあったコーヒーの自動販売機で、インスタントはすぐに出るのですが、ドリップコーヒーになると、「香り高い味」というランプがつくのが実にインチキ臭くて好きでした。



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